初のディスクゲームは本格空母戦

 カセットテープのゲームは読み込みに時間がかかることと、データやプログラムの容量が少ないことが欠点だった。特にグラフィックでは見るべきものがあまりなかった。面白い発想のゲームはいろいろあったがメディアとしては限界が見えてきた。
 そこにこれまで高嶺の花だったフロッピーディスクが一般向けに売り出されるようになった。そしてテープでないフロッピーのゲームが発売される。その第1号がシステムソフトから出た珊瑚海海戦だったという印象をもっている。このゲームの案内を見て、ぜひやって見たいと思いエプソンから出たPC8801用の外付けディスク装置を注文した。定価168000円、今ならそれなりのパソコン一式が買える値段、発売直後で田舎だったからほとんど値引きはなかった。
 地図、駒などボードゲームの雰囲気
 システムソフトには直接注文した。送られてきたのはボードゲームのような30センチX20センチの厚紙のボックスに入ったパッケージ。
 中をあけると100センチx80センチもの大きな地図と赤と青の打ち抜きのこまが入っているのに驚かされた。さらに作戦用の小さなボードもあった。まさにボードゲームそのものだったが、3枚の5インチフロッピーディスクが入っているのが違っていた。フロッピーの1枚はプログラム、あとの2枚にはデータ1、データ2と書かれていた。8801用でなく、8001用のディスクバージョンだった。フロッピーは片面倍密で容量は320(160?)Kしかなかった。

パッケージの中には大きな地図や駒、戦術マップなどぎっしり 厚紙のパッケージでまさにボードゲームの雰囲気

 シミュレーション度は高く策敵重視
 珊瑚海海戦は太平洋戦争初期の1942年の南太平洋での日米の海戦。史上初めて空母同士が相手の船をまったく見ることなく航空機だけで攻撃しあった戦いで知られている。戦史上では日本がニューギニアのポートモレスビー基地を攻略しようと軽空母祥鵬の護衛の下、輸送船団を送り込もうとしたところ、米の基地機と機動部隊舞台に見つかり祥鵬が沈没。翌日は日米機動部隊のがっぷり4つの戦いなり、日本は米空母のレキシントンを沈めるものの新鋭の翔鶴、瑞鶴の二つの空母が爆撃を受けて修理が必要となり、太平洋戦争中最も重要な海戦となるミッドウエーの海戦に参加できず、日本の大敗の原因となった。
 ゲームはまず最初にポートモレスビーの攻略部隊と機動部隊を決め、それぞれの艦船の陣形配置も決めなければならなかった。実戦同様このゲームも策敵が重要で、一つ一つ座標を入れていくというかなり面倒なやり方だった。攻撃は急降下爆撃、雷撃機に分かれて艦船を選んで爆撃する。巡洋艦など周りの艦が対空砲火で対抗するというボードゲームと同じようなオーソドックなものだった。

フロッピーは3枚で2枚がデータだった。 駒や戦術マップもあったがあまり必要なかった


 ゲームは実際の戦いのシミュレーション度が高い分、ほぼ史実どおりになることが多かった。だから面白みという点ではいまひとつ。グラフィックも大きな戦略地図とヘックスが出るだけで、テープからフロッピーに変わったという実感は今ひとつだったような記憶がある。発想もボードゲームから抜け出せず、コンピューター独特のよさは出せてなかった。付録の紙のボードはあまり使わなかった。
 マニュアルにはこのゲームは初級編で中級編、上級編の案内があった。そちらに期待したのだがついに出ることはなかった。