京福事故への考察

事故の経緯
原因の推測
運行停止への不満
廃線へ姿勢
ATSは付くのか

 半年に2度の正面衝突
 今回の事故は6月24日、勝山市の越前本線発坂駅と保田駅の間で起こった。午後6時8分ごろ、本来発坂駅に停止し下り急行を待たなければならない上り電車が線路に入り、福井方面に約500メートル進んだところで正面衝突した。重傷者4人を含む25人がけがをした。
 この事故に先立つ2000年12月17日には越前本線の支線の永平寺線の下り電車がブレーキ故障を起こして暴走。越前本線まで入り込み下り電車と正面衝突。運転士一人が死亡するなど25人がけがをした。電車の老朽化と整備不良が原因だった。

 信号見落としが原因か
   安全教育の不足も
 単線の電車で正面衝突。最もあってはならないことであり、これを防ぐために昔から各鉄道は様々な工夫を凝らしてきた。京福も以前はバックル方式で電車の進入を防ぐ方式をとっていた。
 現在は京福はワンマン運転で、ATSはなく、結局運転手がダイヤと信号を遵守するしか事故を防ぐ手だてはない。
 今回は、目撃証言などから、待機すべき上り電車が赤信号を無視して下り急行がやってくる単線に進入したのが原因と見られている。
 さらにその背景として、越前本線には急行が1日1往復しかなく、事故のあった発坂(ほっさか)駅で、すれ違いをするのは朝夕の1度だけというダイヤで、事故を起こした上りの運転士がまだ経験が浅く、発坂駅では待機する必要がないと考えていたのではないかとの推測もでている。
 もう一つ上り電車はダイヤよりも2分程度速く運行していたとの推測が事故発生時刻からでている。京福電鉄は他の電車会社から購入した中古のかなり古い電車が多いが、上り電車は2年前に福井県が京福支援のために購入した2台の新型車両の一つだった。古い電車に合わせたダイヤだったのに、新型車両のためスピードが出過ぎて早く到着したとも考えられる。下りの方が先に到着していれば事故は起きなかったはずだ。

 いつまで続く運行停止
  利用者に大きな不便
 事故発生からの国の対応は素早かった。半年に2度の大事故ということで、すぐに京福電鉄福井支社管内の電車の運行を停止させ、緊急の点検を求めた。今回事故を起こした越前本線、前回の事故の原因となった永平寺線だけでなく、三国芦原線も対象となった。
 そこまではやむ得ないが、それが先の見通しが示されていないまま長期化していることが問題だ。乗客は毎日不便な代行バスの利用を強いられている。代行バスは駅の近くの停留所を通るため、道路に対してジグザグのコースをたどらざるを得ず、倍近く時間がかかる。ラッシュ時などは積み残しがでることもある。京福はバスに必ず車掌も付けなければならず、観光バスなどをフル回転させるなど、かなり大変なようで、京福に対する懲罰的な指導にも思える。
 福井市で記者会見し扇国土交通大臣は再開は事故原因が究明された後と述べたが、完全な原因究明には事故で大けがをして入院中の運転士から詳しく話を聞かなければならない。そこまで乗客の不便をしいるつもりなのだろうか。まして事故とは全く無関係の三国芦原線の乗客まで。前回の事故後の国の指導力不足と、今回の安全対策づくりへの国の怠慢のつけを乗客に押しつけているとしか思えない。地方鉄道と軽視せず、これまでに安全指導をもっと徹底すれば今回の事故はなかったはずなのだが。
 もう一つ、京福の本社は京都で、京都市内を走る嵐山線を運行しているが、不思議なことにこちらは何の処分も受けていない。

 廃線打ち出し9年
 京福鉄道が越前本線の廃線希望を打ち出したのは1992年。それ以後存続を望む市町村が乗る運動を打ち出したものの、乗客数は伸びず、京福は三国芦原線まで廃線意向を示した。「存続には第3セクターしかない」という認識も示され、これ以上自主的に運行しようという気はないという姿勢を全面に打ち出している。そのやる気のなさが今回の安全軽視の事故につながった。
 問題は利用が減り続けることにある。県や沿線市町村は、第3セクターとなった時の大きな財政負担はもちろんだが、利用者がさらに減って将来の大きな重荷になることを恐れる。
 ATS拡充のきっかけとなるか
 京福事故をきっかけに国土交通省は中小私鉄のATS導入を増やそうと補助を大幅に増やすことを決めた。これまでも補助はあったが、鉄道会社の負担が大きく、2の足を踏むところが多かったが、これからは急速に増えていく可能性がある。そうなると今回の京福事故は日本の鉄道史に足跡を残すことになるのだが、肝心の京福は運行を続けATSをとりつけることができるのだろうか。日本の鉄道環境向上に役立ったが、結局廃線ということは避けてほしい。