平泉寺
 静寂と杉林、苔のじゅうたん。観光客も声を潜めてあるくような勝山市の平泉寺はかつては人口7千人もがいた一大宗教都市だった
 明治以後現白山神社と名が変わったが、以前はずっと平泉寺と呼ばれてきた。
 10年以上前から発掘調査が進み、広大な史跡の範囲とかつて「六千坊」といわれていた栄華が明らかになってき98年には国史跡の指定区域が、従来の14ヘクタールから200ヘクタールへと大幅に拡大された。
  
白山神社の本殿の右奥にさらに上に石段が続き、三の宮の裏にさらに後ろの山に続く細い道がある。この道が平泉寺の原点だ。
平泉寺後方の三頭山から法恩寺山、和佐森、県境の小原峠、三ツ谷を経て、現在の白山登坂ルートの起点である市ノ瀬をたどり尾根づたいに山頂を目指す。約30キロの道のりで、二泊三日をかけて上った泰澄が最初に開いた白山禅定道と呼ばれた道だ。

  泰澄が母親の生誕地である勝山の伊野原で、貴女が現れ、その教えにより、林泉で祈念し、白山神が妙理大菩薩と号することを知る。林泉が、平清水と呼ばれ、平泉寺の語源ともなった。
繁栄を極めた平泉寺も、天正二(一五七四)年に一向一揆の焼き打ちを受け、一山もろとも灰じんに帰し、力を失った。
  
   泰澄と三馬場 

    明治初めの大逆転
   
白山神社
   白山の麓 白峰村
   美濃馬場 白鳥の長滝寺
   信仰の村 石徹白と中宮神社