謎の継体大王を探る
    
福井平野で成長、
       中央へ
進出


福井市の足羽山にある継体天皇の石像
  継体大王は、さまざまな謎に包まれた人物です。生まれた年がはっきりわかりません。亡くなった年齢も諸説があります。大王になる前、どこで生まれどこで育ったかについても諸説があります。はっきりしていることは、現在の皇室が系図を正確にさかのぼることができる最古の天皇だということです。
 継体大王は近江で生まれ、福井平野で育ったと日本書紀などに書かれています。以前は、これを疑問視する見方もありましたが、最近の考古学と文献学の成果から、福井の強力な勢力を背景に育ち、成長し、北陸、近江、尾張などの豪族の力をバックに、中央に進出した人物だということがほぼ分かってきました。といってもどんな人だったのか、なぜ急に越前から天皇になるような人物が出現したのか、どんな力が背景にあったのか。継体と中央との既存の中央の勢力との力関係がどうだったのか。
 まだまだ不明なことばかりです。
 継体の福井とのかかわりと、様々な謎を考えます.

母振姫の里に巨大古墳群
越前の鉄と若狭の塩
先祖は?、新王朝か
今城塚には笏谷石はなかった
妻は11人うち越前出身は?
大和より淀川を好んだ?
没年に3つの説
 

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