松平忠直とはどんな人?
 

  徳川家康の孫で、結城秀康の子。1607年、父の死去で越前国68万石を継ぎ、2代藩主となった。
  11年に、叔父の将軍徳川秀忠の娘・勝姫と結婚。15年に大坂夏の陣で戦功を挙げるが、恩賞への不満を募らせ参勤交代を怠るなど将軍家にたてつき、23年、豊後国へ配流となった。仏道に帰依し「一伯」と称した。
 菊池寛の小説「忠直卿行状記」で有名。身ごもった女性の腹をさくといった「乱行」伝説が残るが、中国の暴君伝説をもとにした後世の作り話とみる説がいまでは有力。

大分での忠直

  
 忠直をめぐる動き

1595(文禄4)
 結城秀康の長男、長吉丸(忠直)誕生
1601(慶長6)
 秀康、越前入国。北庄城の改築始まる
1607 秀康、北庄で死去
忠直、越前国を相続
1611 勝姫と婚姻
1612 家臣間の争論、久世騒動起きる
1615(元和元)
 大坂夏の陣で戦功、徳川家康から初花の茶入れたまわる。
 長男仙千代(光長)北庄に誕生
1616 家康、駿府で死去
1618 鯖江・鳥羽野開発を命じる
1621 参勤のため北庄を出発も、今庄で病気となり北庄に帰る
。仙千代、忠直の名代として江戸へ
1622 参勤のため北庄たつも関ケ原で病気再発、北庄に帰る
永見右衛門を成敗
1623 母清涼院通し豊後国へ隠居の上命受ける。3月北庄を出
発、5月豊後萩原に到着
1624(寛永元)
 仙千代、越後高田に転封。弟忠昌が高田より越前家相続。
 北庄を福井と改める
1626 忠直、豊後萩原から同国津守に移る
1650(慶安3)
 9月10日、津守で死去。56歳。10月10日、浄土寺で葬儀
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