鳥羽野開発今も尊敬される

 暴君伝説に反して福井でも昔から名君という高い評価を持ち続けている地域があります。鯖江市の旧鳥羽野地区です。忠直は一六一八(元和四)年に原生林だったこの土地の開発を奉行に命じ、道を整備し移住者には宅地や耕地を無償で与えました。公の仕事を免除し、商売も自由にさせたため無人だった土地には二百十八戸が軒を連ねたといわれます。この土地の人にとっては忠直公は神様であり仏様的存在になっています。白馬にまたがる忠直の像を総社八幡神社の祭神とし、大分から持ち帰った守り本尊と位はいをまつために琵琶神社を建立したといわれています。


 地区内にある天台宗・長久寺の境内には忠直の墓があり、鯖江市の文化財になっています。本堂には忠直の死から二十二年後に作られたという高さ六十センチほどの木像が家康と秀康の像とともにまつられています。
地域には忠直が配流の旅の途中で寺に立ち寄り、「この地を在所とせよ」と言い残したという文書がのこっています。忠直の死後、地区代表が配流地の大分・津守に向かい墓石下の土を持ち帰り、長久寺の墓に埋葬したといわれています。

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