義鑑
 (?−1337)

 現南条町にあった杣山城主瓜生保の弟で禅僧。
 兄瓜生保が、足利高経の示した後醍醐帝の偽綸旨に従って足利方に付いた後も、新田方に心を寄せ、脇屋義助の子義治を預かって旗印として挙兵。金ケ崎攻めに加わっていた兄を翻心させて4兄弟で戦う。金ケ崎に救援に向かったとき今川頼貞の兵に敦賀市樫曲で討たれる。









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