ボードシミュレーション概論
 複雑化、長時間でゲーム離れ
 日本に突然ボードシミュレーションゲームのブームが到来したのは1970年代終わりから80年代はじめにかけての頃だった。週刊誌などで取り上げられ、おもちゃ屋の店頭にも並び始めた。筆者の住む県の県庁所在地でも最初はプラモなどの専門店、次第にふつうのおもちゃ屋に大きな箱入りのゲームが並ぶようになった。なぜブームがやってきたかの記憶はないが、多くの海外ゲームの輸入版権を持っていたホビージャパンの仕掛けだったのだろうか。

 ボードシミュレーションゲームはもともと欧米の軍事演習のための複雑なゲームとして17世紀頃からあり、第2次大戦で知られるようになった。1953年にアメリカのボルティモア州出身のチャールズ・S・ロバーツが軍事専門家でなく一般向けの「タクティクス」というゲームを作った。二つの架空の国を想定したもので注目を集め、ロバーツはシミュレーションゲーム専門のアバロンヒル社を創設。次々とウオーゲームを作り発売した。
 さらにアバロンでゲームをデザインしていたジェームズ・F・ダニガンがSPIを創設。アバロンのゲーム付きの雑誌ストラテジー&タクティクスを買い取り、シェアを伸ばしていった。アメリカでは73年にDungeons&Dragonsが発売されるなどロールプレイングゲームが少しずつシェアを伸ばしてくが、日本では70年代中盤まではあまりボードゲームの存在そのものが知られていなかった。
 日本のシミュレーションの夜明けは、エポック社が初の国産ゲーム「バルジ大作戦」を発売したのをきっかけに、次々とシリーズ化したこととホビージャパンがゲーム専門雑誌タクティクスを定期出版したことからやってきた。

 ホビージャパンからは続々とアバロンヒルやSPIのゲームが翻訳出版され、日本ではエポック社以外にもツクダホビーが開発発売するなど新シリーズが生み出された。エポック社のゲーム開発グループを中心に雑誌「シュミレーター」も発売されて2大勢力となり同人誌も雨後の竹の子のごとく出てきた。各地ではゲームサークルが誕生した。
 しかしこのブームも長続きしない。ゲームが複雑化しマニアックになり、しかもプレー時間が長くなってきた。対戦相手がなかなかみつからないだけでなく初心者も生まにくくなったことや、ロールプレーイングとウォーゲームにゲーマーが2分されたことが人気に水をさしていくうちに、一人でできて複雑なルールを完全に覚えなくてもいいパソコンゲームが現れて、ブームは完全に消えゲームの多くは押入にしまわれた。
 PCが追い打ちも今でも根強いファン
  しかし今でも輸入ゲームは発売され続け、オリジナルのゲーム付き雑誌「コマンド・マガジン日本版」が2001年8月で40号となるなど根強いファンは残っている。