廃線問題をめぐる主な経過

1992年2月
 京福電鉄が福井県内の3線のうち越前本線の東古市−勝山間と永平寺線全線(東古市−永平寺)の廃線方針を発表
1996年3月 
 勝山市で京福の存続を求めて市民会議発足。市役所内に京福対策室も設置
1997年3月28日
 越前本線と永平寺線の廃線問題で京福と県、勝山市、上志比村、永平寺町、松岡町、福井市の沿線5市町村が2000年までの存続を決定。それ以降は2000年度に改めて協議することで合意
1997年10月10日
 京福電鉄が発足55周年記念イベント。大正9年製の電気機関車「テキ6」のデモ走行などを行う
2000年1月 
 京福沿線自治体が京福への行政支援継続を決定
2000年12月 
 永平寺線の電車がブレーキ故障で越前線に進入して正面衝突事故を起こす
2001年2月21日
 京福電鉄は、廃線か越前線、永平寺線に加え、三国芦原線も対象として第3セクター化を要望。京福越前線活性化協議会で1年間財政支援を続け、この間に第3セクター方式による存続か廃線、バス転換かの結論を出すことを決める
2001年6月23日 勝山市で1100人が参加しての初めての電車存続決起集会が開かれる
2001年6月24日 勝山市で下り急行と上り電車の正面衝突事故。県内の全面運行停止へ
2001年7月19日
 京福に事業改善命令。
 京福活性化協議会が開かれ、県が第3セクターした場合の財政負担割合の試案を公表。
2001年7月30日 
 京福越前線活性化協議会で京福が廃線にした場合のバス転換路線のルート試案を公表。越前線は現在の国道416号線を基本として勝山から福井駅前まで走らせる。永平寺線は現在のバスルートと同じ。三国芦原線は、JRの芦原温泉、丸岡、春江への接続バスとするもので、現在の1本のラインでなく3つに分断されてしまっている。通勤、通学にはバスからJRへの乗り換えが必要となり、大きく不便になる。
 同日京福電鉄の石田栄一社長は東京の鉄道総合研究所に施設や車両に関する健全度診断を依頼したことを明らかにした。8月下旬に施設改善に必要な経費なども含めた報告を受けるという。
 2001年8月13日 京福越前線活性化競技会が開かれ、県は3セクで存続する場合の民間出資比率を「25%が適当」とし、沿線自治体もおおむね賛成した。またバス転換の場合、勝山−福井間が現状より300円アップの1200円となるとの見通しも京福から出された。
 2001年8月21日 三国町区長会連合会が存続を求める12000人分の署名を三国町と同町議会に提出。
 2001年9月3日 京福電鉄が中部運輸局の事業改善命令に基づく改善計画を発表。線路や橋の改修など当面の運行再開に11億円、運行再開後ATSや枕木のコンクリート化に70億円などが必要とした。
 2001年9月6日 勝山、福井など沿線6市町村の区長会、自治会は県と県議会に6万人の署名を提出し、存続と早期の運行開始を求めた。「ふくい路面電車とまちづくりの会」は存続に関する陳情書を沿線で不熱心とみられている芦原町の奈須田町長に手渡した。
 2001年9月8日 京福電鉄の石田栄一社長は活性化協議会の席上代行バス運行による収益の悪化を理由に「10月上旬に再開の結論がでなければ県内3線の廃線手続きに入る」と表明した。自治体、県からは結論がでるのは「早くて10月中旬」とし、京福の早急な姿勢に反発の声が出ている。
 2001年9月18日 存続に最も熱心な勝山市の山岸市長が、沿線8市町村の足並みをそろえるため他の自治体訪問を始めた。皮切りは上志比村と坂井町。27日まで全訪問を終え、首長会議の開催を求めていく。
 2001年9月19日 京福電鉄の石田栄一社長が中部運輸局を訪れ、事業改善命令に対する安全対策を報告した。鉄道総研のまとめた回収計画に沿って車両や線路を補修し、運転士の基本動作の徹底や社内安全対策委員会設置などが盛られている。ATSの整備も盛られている。しかし実施は沿線市町村との3セク化による存続が決まって場合という条件が付いている。
 福井市会で奈良一機副市長が「三セク化したうえで存続させたい」との考え方を表明した。設立後市は10年間で10億円以上の負担が必要で、議員からは不安の声も出ている。
 2001年9月20日 福井県会の一般質問に答えて栗田知事は、京福の廃線手続き方針について「一方的な申し出で誠に遺憾」としながらも、京福に撤回の意志がないことから、10月の早い時期に結論を出すとした。
 2001年9月28日 福井新聞社が電話アンケートを公開。70%近い沿線の住民が存続を望む
 2001年10月1日 福井市がアンケート結果を公開。7割が存続を望む。新システムへの期待が高い。
 2001年10月3日 福井県議会で栗田知事は県の廃線問題への結論は12月まで出せないと表明。京福が廃線手続きに入ることを認めた。手続き後でも第3セクターでの運行は可能という。
 2001年10月12日 京福電鉄の石田社長は廃線手続きに入ることの沿線自治体への説明を始めた。初日は芦原、春江、三国、坂井の坂井郡4町を訪れた。
 この中で県の結論を待たず福井鉄道部を解体し職員の配置転換を進めることを表明した。
 2001年10月19日 京福電鉄の石田社長は中部運輸局に廃線手続きを提出。
 2001年10月25日 沿線市町村の初めての首長会議が開かれ、京福線の第3セクター化の必要性で一致した。153億円という経費を見直すことと、沿線の負担を各自治体の実状に合ったものにするため、県費を上積みすることを求めていくことなどで合意した。11月6日に県と話し合う。
  2001年11月1日 福井県私立高校PTA連絡協議会と県私立中学高校協会は、福井市内の私立学校に通う660人の生徒が京福の運転停止で毎日不便な通学が強いられているとして、栗田知事に存続と早期再開を要望した。
 2001年11月6日 沿線市町村の首長と栗田知事との初めての本格的な話し合いが行われ、県は京福の3路線を部分的に廃線にしたときの沿線の負担経費試算などを示した。この中には越前本線は存続するものの永平寺線は廃線、三国芦原線も福井−春江間までの運転として、坂井、芦原、三国を廃線とし、田原町で福井鉄道の市内路面電車線路に乗り入れるという案も示された。
 2001年11月12日 三国町の議会で京福の存廃問題が話し合われ、県の春江以西の廃線プランについてあくまで三国までの存続を求めていくことを確認した。芦原議会では、町長の「バス転換」容認発言について批判が出、存続を前提に経費負担の軽減を求めるという方針を再確認した。勝山市議会では福井口から福井駅までの廃線について再考を求める声が相次いだ。
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