太平記巻の16

  尊氏が九州から反攻、正成戦死、義貞逃げ帰る

 新田義貞西国進発の事
 西国に逃れた足利尊氏は九州筑前の多々良浜の合戦で菊池勢を破り勢いを取り戻す。
 新田義貞は天下一の美人とうたわれた勾当内侍との別れを惜しんで西国下向を遅らせたため、一気に尊氏を滅ぼす機会を失う。
 「誠に傾城傾国のしるしなれ」
 赤松入道円心が播磨の白旗峰に城を構えるなど尊氏方の防御は整う。
 このころから急に太平記では義貞の記述の輝きが失われてくる。

赤松円心白旗城を構える事
 義貞は五万騎で西に向かうが白旗城では赤松にたぶらかされ、さらに時間を費やしてしまう。弟脇屋義助の助言で白旗城を回避、脇屋は険阻な船坂山の敵を敗り美作へ進む。
帰る。 尊氏九州より御上洛の事
 赤松円心の助言で尊氏は九州から船で東へ戻る。途中安芸の厳島神社で持明院の上皇から院宣を得る。備後に着くと続々と兵が集まり、直義を陸路、尊氏は海路で向かう。義貞は美作の味方に撤兵させ、加古川の東へ弾く。10万騎が2万騎に減ってしまう。

 楠正成兄弟兵庫下向の事
 楠正成が後醍醐に呼ばれ、尊氏迎撃への出陣を命じられる。しかし正成は兵の数と勢いのちがいから、いったん京を離れ、尊氏を誘い込んで攻撃することを提言する。しかし後醍醐の側近坊門に退けられ、死を覚悟して正成兄弟は兵庫に向かう。
 楠正成兄弟以下湊川にて自害の事
 新田義貞と楠正成の間に尊氏の隊が上陸し、楠勢は孤立。700騎で20万をいったんけちらすが、多勢に無勢で敗勢となり、落ちようと思えば落ちられるにもかかわらず自害する。義貞は都に逃げもどる。


 
  太平記の袖舞台