5年間は大石川県
 1871(明治4)7月能登と越中の砺波、射水、新川の3郡を含ため金沢藩域が金沢県となり、現在の富山県の四分三も含まれました。江沼郡など大聖寺藩が大聖寺県となりました。白山麓は越前の本保県でした この年11月 大聖寺県を金沢県が併合。能登と越中の射水郡が合わさって七尾県になります。砺波、新川郡は富山の新川県となります。
 1872年2月 県庁は石川郡本吉村を改称した美川町に置かれ、県名も郡の名にあわせて石川県になります。
 9月には七尾県を分解し能登は石川県に、つけねの部分の越中の射水軍は新川県に入ります
 11月白山と白山麓18か村が足羽県から石川県に併合され、現在と同じ県域になります。1873年1月県庁が金沢に戻ります。
 1876年(明治9)4月 新川県を廃止し越中を石川県に併合。旧加賀藩と同じに加越能が一緒に。
 さらに9月には敦賀県が廃止され、嶺北の7郡が石川県に併合され、人口180万人、石高220万国の大きな県が誕生。県規模では全国1に
 1881年(明治14年)越前の7郡が分離。福井県が誕生します
 1883年(明治16年)越中が分離し、現在の石川県の範囲が確定します
大聖寺県と金沢県に 七尾県が誕生


9世紀ようやく加賀が独立
明治初めに大石川県
福井県の誕生
石川県の誕生
富山県の誕生