越前生まれのスーパー僧侶

 白山を開いたといわれるのは越前の僧泰澄でした。
 

泰澄は越前の麻生津、現在の福井市三八社町、県立音楽堂の近くで生まれました。
 14歳で織田町の越知山で修行し、35歳の時、美しく尊い女性の夢を見て、白山に登ります。
 これが白山信仰の始まりで十一面観音が白山の神様です。
  泰澄は有名な役の行者に続く、山でのスーパーマンのような修行者で全国に泰澄が開いたという神社や寺は二府17県にもなるといわれます。さらに白山神社と名の付いた神社は北海道、宮崎、沖縄をのぞく44県2700を越えるそうです。


 

最初の登り口は福井県の勝山市の平泉寺からだったのですが、白山信仰が盛んになって上る人が増えてくると石川県の鶴来町の白山比盗_社、岐阜県白鳥町の長滝寺からのルートも開発され、人の宿泊地となった平泉寺、白山比盗_社の三カ所が三馬場と呼ばれ競い合いました。

 3県で本家争い
 泰澄について石川には石川生まれ、岐阜は岐阜生まれという伝説があるなど、白山をめぐって本家争いが行われました。石川では泰澄が医王山で生まれたという言い伝えがあるほどです。
 そして、福井の平泉寺が勢いを失っていくと、白山の領有権争いがおこるようになります。
 江戸時代の明暦の福井藩と加賀藩の争いでは寛文の幕府裁定で越前のものとされますが
 明治はじめに大逆転が起きてしまいます。

    明治初めの大逆転
   平泉寺の栄華
   白山神社

   白山の麓 白峰村
   美濃馬場 白鳥の長滝寺
   信仰の村 石徹白と中宮神社