白山中居神社(石徹白) 
  
  岐阜県からの古来の登山者は長滝寺を出発し、美濃禅定道を進んだ。険しい桧峠を越えると、 間もなく岐阜県白鳥町の北端にある標高七〇〇メートルの高原の集落、石徹白にたどり着く。
  
  ここは昭和30年代までは福井県の石徹白村だった。住民たちが岐阜県との全国でもまれな越県合併を望み、大もめの末、国の裁定で認められた。
 その裏には白山信仰での白鳥との結びつきの歴史が大きかった。
村の在所の入り口には、結界を示すしめ縄が張られている。今でもここは神域である。
 石徹白は白山信仰の村として栄えた。江戸時代まで、村人はすべ白山中居神社の社家社人だった。名字帯刀が許され、村全域が神領として年貢が免除されていたという。
 
 村人は、美濃馬場から白山を目指す人のために、宿坊を開き、案内役を務めた。登拝者がいなくなる秋冬は、全国各地の信者の所を回り、護符や白山略図、薬草などを配った。
 

中居神社は樹齢千年といわれる威厳ある老杉の木立や九頭竜川の源流である、石徹白川の流れが迎える。橋を渡って本殿に行くと今でも神さびた雰囲気が漂う。
江戸中期、民衆に巡礼行脚や寺社参けいの風習が広まり、三馬場の中で美濃の禅定道が最も
にぎわったという。
 中居神社を出ると、銚子ケ峰、別山を越えないと、御前峰にたどり着くことはできなかった。山峡の道は「九里八丁」と呼ばれ、白山は遠かった。

   泰澄と三馬場 
    明治初めの大逆転
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白山神社
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