継体は地方からの新王朝か、皇族か 
 「日本書紀」によると第26代天皇の継体は武烈天皇の死後、後継者として擁立され即位したと伝えられています。応神天皇の五世孫ということになっています。しかし日本書紀の系図には2代が空白になっているなどはっきりしません。その血筋に関しては疑問が多くありますこれまでには越の地方豪族で王権をはく奪したとするなどさまざまな説が展開されてきました。
 戦後、研究のタブーがなくなると、継体の系譜は後から作られたもので信ぴょう性が薄いという主張が登場します。継体が現在まで続く皇統の初代天皇という「新王朝」説が提起されます。さらに、継体が即位する前後の期間を内乱期ととらえる説も現れます。継体は地方の地盤を固め、皇族を自称する豪族などと結んで勢力を培い、二十年に及ぶ動乱を統一した英雄だとするものです。
 しかし、一方で新王朝説の否定論も現れます。母親の振媛の越前の里はヤマト政権と密接な関係があったことや、天皇の娘を后にしたことなどからヤマトとは無縁でなかったという主張です。聖徳太子に関連して書かれた上宮記には5代の系図が細かく書かれていることも根拠の一つとなっています。
 新しく発行された福井県史では「記紀や上宮記の記載を信じるとしてもその血縁は極めて希薄で継体を新王朝の始祖と考える妨げにはならない」と、越前を母胎に生まれた新しい勢力という立場をとっているようです。

   母振姫の里に巨大古墳群
   越前の鉄と若狭の塩
   先祖は?、新王朝か
   今城塚には笏谷石はなかった
   妻は11人うち越前出身は?
   大和より淀川を好んだ?
   没年に3つの説