明治の鉄道運送組合、江戸の奉行所跡、順徳天皇の足跡

JR芦原温泉駅から散歩 その2(歴史編)

前回は曇り空だった福井県あわら市の芦原温泉駅からの散歩。5月初め好天に恵まれ五月晴れの町を再び歩いた。

旧金津町を流れる竹田川。明治に鉄道ができて水運から陸運へと変わった。

芦原温泉駅はもともと宿場町だった旧坂井郡金津町の中心にある。町の真ん中を竹田川が通り、旧街道が交差する。町を歩くと往事の賑わいをしのばせる建物や遺跡が見つかる。

竹田川沿いに歩くと川の堤防の土手を少し町に下ったところに大きな石碑を見つけた。高さ2メートルはある石板状の大きな碑で「仲仕組創立紀念之碑」と上部に書かれ、細かな文字が刻まれている。文字はかなりすり減っていて、読めないところも多い。1901年(明治34年)荷下ろし、運搬に携わっていた人たちが輸送関連の組合、仲仕組を創立したときの記念碑だ。

鉄道が開通し船荷を扱っていた人たち馬で荷を運んでいた人たちが鉄道で陸運の仕事を新しく始めたときの意気込みや町の発展の願いなどが書かれているという。あわら市春宮1丁目にあり、ことし2031年1月25日に新たに市の文化財に指定された。民有地とみられる場所にひっそりと立っている。

あわら市の文化財「仲仕組創立紀念之碑」

金津奉行所跡の案内板

川沿いに歩いていると左岸の桜の木の下に「金津奉行所跡」の案内板が見えた。江戸初期の慶長23年(1613年)に福井藩が奉行所を置き35カ村を支配した。訴訟も扱い、軽犯罪を裁いたため金津代官所とも呼ばれた。安政4年まで38代240年続いたと書かれている。その後は留守番役が置かれ、明治になって完全に廃止された。

竹田川の堤防から寺の大きな屋根が何棟も見える。旧金津は寺の多い町でもある。浄土真宗の寺が多く、今でもお説教や仏教教室の案内も掲げられている。

「順徳天皇御駐輦所」の石柱が立つ永臨寺

川から離れ、少し小高くなっている加越台地の丘陵添いの道を歩くと小学校がありそこから駅へ戻っていくと左側の寺の入り口に「順徳天皇御駐輦所」という石柱が立っている。春宮3丁目の永臨寺だ。順徳天皇は鎌倉時代初期、鎌倉幕府を倒そうとした後鳥羽上皇の承久の変に父の上皇とともに兵を挙げ敗れ、佐渡に流された。碑には許され京都に戻ったときにここに立ち寄ったと書かれているが、実際は佐渡で京に戻れないまま佐渡で亡くなった。石柱は明治7年に立てられ、ご帰還の際当時に1泊したと書かれている。

永臨寺は古くからの由緒がありそうで現在は真宗大谷派の寺院。江戸時代には東本願寺の学問を栄えさせたという香月院深励が住職となった。本堂の前には深励の胸像が立っている。

金津は古くからいろんな人たちが通った地だった。

香月院深励の胸像

このほか道沿いにはちょっと高くなった場所にある稲荷地蔵尊など歴史を感じさせる建物が続く。土産物店や和菓子屋など気になる店も多い。いろいろ発見があって町歩きは楽しい。

芦原温泉駅散歩 その1