天王寺公園、茶臼山、四天王寺散策

天王寺公園から桜の向こうに見えたあべのハルカス

季節外れの4月上旬の寒気がようやく去った4月12日、大阪の天王寺周辺を散策した。あべのハルカスに上り大阪市街地や大阪湾、淡路島、堺市などを眺めた、直下の天王寺公園にはまだ桜がきれいに咲いているように見えた。

とりあえず天王寺公園に向かった。ハルカスの展望フロアから降りて2階から歩道橋を渡り公園に降りた。桜は少し葉がでているものの、寒さのせいか花をしっかりついていた。桜並木沿いに歩いて行くと大阪市立美術館に出た。ちょうど人気のフェルメール展をひらいていた。しかし付いたときは17時過ぎていてもう入場できなかった。黒田藩蔵屋敷跡の碑もあった。

フェルメール展を開いていた大阪市美術館

 天王寺公園は小高い台地のようになっているらしく西側が低くなっている。並木の向こうに通天閣が見えた。あべのハルカスに比べると低い。でも昭和の象徴の風情と存在感がある。

北へ進んでいくと池と赤い橋が見える。河底池という池の側には桜が植えられ池の中には噴水もある。赤い橋を渡っていくと夕焼けと通天閣が池に映っている。

橋を渡って小さな丘陵を登る。茶臼山だ。大阪城にいた豊臣秀頼率いる豊臣勢を徳川家康が滅ぼした大坂夏の陣と大阪夏の陣の激戦地だ。冬の陣は大阪城を囲んだ家康の本陣が置かれた。冬の陣はこの場所で真田幸村(信繁)が松平忠直の越前勢に討たれ、夏の陣の行方は決まった。「史跡 茶臼山河底池」と書かれた石柱が立っている。

さらに「大坂の陣史跡 茶臼山」と書かれた新しい大きな石碑も立てられていた。

 茶臼山から下りて天王寺駅からまっすぐ北へ向かう谷町筋通りを左折して四天王寺に向かった。四天王寺は仏教の伝来をめぐって蘇我氏と物部氏が戦ったとき聖徳太子が四天王像を彫り安置したのが始まりという。

台風や空襲で五重塔や金堂など伽藍が壊れ灰になった。戦後再建され五重塔や本堂などの伽藍が再建され、往事の姿が戻っているという。

茶臼山から歩いて10分ほど、大きな通りを渡ると大きな鳥居とやや小ぶりな五重塔が見えてくる。寺なのになぜ鳥居と思いながら露天が立ち並ぶ道を進み柱が朱に塗られた立派な西大門をくぐる。伽藍の中に入り五重塔を仰ぎ見た。午後6時を過ぎて中心伽藍は閉じられていて中に入れず金堂や五重塔を間近にみることはできなかた。人通りは少なくなっていく中、併設する四天王寺学園の生徒が部活だろうか境内をランニングしていた。

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 帰り道西門と、鳥居を通して夕暮れの光が見えた。4月春分を過ぎているため夕日は少し北西に沈んでいるが真西に沈む春分や秋分の日は一直線に光が西の西方浄土に沈むだろうと思った。参道に「夕日に映える歴史のいきづくまちなみ」と書かれた案内板があった。

四天王寺から見えた夕焼け

「かつて大阪湾は今より内陸部に食い込み四天王寺のすぐ西まで迫っていた」と書かれていた。四天王寺から大阪湾に沈む夕陽が見えたらしい。参道を一直線に海から伸びてくる光の道はまさに西方浄土への道だったろう。石鳥居は古くから西方浄土の東門と信じられていたという。鳥居前は「夕陽が見る場」として大阪市によって整備されている。この日は残念ながら雲を茜色に染めていたものの夕日はわずかに見えなかった。

ハルカスのマリオットホテルからの夕景